盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:14:00~24:00

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幸遊記NO.199 「坂本健の板橋センス!」2014.11.4.盛岡タイムス
 東京都板橋区・成増アクトホール。10月14日(2014)この日がジャズピアニスト・穐吉敏子さん(85)と娘さん、歌手・フルート奏者のマンデイ満ちるさん(51)が、親子二人だけでの初めての日本公演初日。何と穐吉さんの代表曲「黄色い長い道(ロング・イエロー・ロード)」に半世紀余りを経て、マンデイさんが詞を書き歌ったので、僕はとても驚いた。
 話を遡(さかのぼ)ると、むかし、まだ学生だった、坂本健(現55才)さんという一人の学生が、陸前高田にあった「ジャズ日本列島唯一・日本ジャズ専門店のジョニー」を訪れていた。そのせいかは別として、彼は東日本大震災後、岩手、気仙地区(大船渡・陸前高田)を応援しようと決めたらしい。2012年9月、彼等御一行が、開運橋のジョニーに穐吉さんの夫、ルー・タバキンさんの国際トリオのライブを聴きに来て、「東京では考えられない、素晴らしい演奏光景でした」そう言って僕に差し出した名刺は「東京都板橋区長・坂本健」。
 更に今年5月31日、僕の店で育ったジャズ歌手・金本麻里を都内の「アデロンダック・カフェ」に立たせて貰った時、区長夫妻御一行も現れて、笑み浮かべ席に着くと胸内ポケットから取り出したのは、僕が送っていた案内状だった。飲みながら秋に来る穐吉・マンデイ満ちるの話をしたら、嬉しそうに、翌日にはホールを探してくれたのでした。
 主催は板橋文化国際交流財団。丁度TV東京が「ソロモン流」という番組で穐吉敏子さんを特集したことも重なり、チケットはあっという間に完売した。当日開演前や休息時間には、穐吉さんのワイン好きにあやかり、岩手のワインと葡萄ジュースを、来場者全員に飲んで貰うことになり、岩手県の出先機関・東京の銀河プラザ所長・坂本正樹(36)さん(元・野村胡堂あらえびす記念館の事務局長・坂本安法(66)さんの次男)に電話し、大迫のワインと紫波の葡萄ジュースを500人分用意してもらったのでした。そのおいしさには皆さんが感激していました。
 打ち上げは、池袋サンシャイン60の59階特別室。穐吉さん、マンデイさん、区長御夫妻と区の魅力発信課長、文化財団理事長、係長等14人での会食。そこで区長が穐吉さん、マンデイさん、そして僕にまで区制施行80周年記念の区の鳥花木のロゴ入り扇子を贈呈するセンスの良さに感服!カンパイ!。後日、額入りのステージ写真が3人分届いた。

幸遊記NO.198 「加藤アオイの葵繭(あおいまゆ)」2014.10.27.盛岡タイムス
 伝統ある日本最大級のジャズ祭「ヨコハマ・ジャズ・プロムナード・2014」そのプロデューサー・柴田浩一さんからの招待を受け夫婦で行って来た。そのメイン会場だった、横浜「みなとみらいホール」ロビーで、偶然に出会ったのは、出演者でジャズ歌手兼ピアニストの加藤アオイ・真由さん親子だった。
 加藤アオイさん(62)が初めて、僕(ジョニー)に電話や手紙をくれたのはもう20年も前。誰かの紹介だった。以来時折の手紙や、彼女の活動を知らせる通信が絶えることなく今日に至っています。そのまめさに、応えなくてはと思い、初めて彼女のライブを開催したのは、10年近くも経過した、2003年のことでした。
 その時、僕は彼女の唄もさることながら、気に入ったのは、歌のあい間のアドリブ演奏とその音の素晴らしさにだった。それが、頭の中に残った。6年後の2009年1月24日、「開運橋のジョニー」でライブを演り、翌25日、北上市のさくらホールで、あの美しいピアノ、ファツ・オーリを使用して、彼女の弾き語り。そして彼女の娘・真由さんとのデュエットを録音した。
 アオイさんの本名である「葵」と、娘さんの真由の名を「繭」にしたタイトル、「葵繭」(AOI・MAYU)として、僕のレーベル・ジョニーズ・ディスクより、東京のレコード会社、ウルトラ・ヴァイヴを通じてCDを全国発売。彼女たちのコンサートやライブ会場での手売りも又、頭が下がる程、まめで今だに一生懸命なのである。
 僕等が9月の第一日曜日に開催している「オータムジャズ祭・イン・紫波ビューガーデン」にも何度か出演して頂いたが、久し振りに来年のジャズ祭にお願いします!と言うので、OKして、みなとみらいホールで彼女の「ワークソング」をじっくりと聴いた。
 加藤アオイさんは1952年大阪生まれ。京都市立芸大ピアノ科卒。上京してフルバンドのピアニストとして、ジャズ界入り。79年渡米し、シカゴを中心にライブ活動。91年「モーヴ」を発表。96、99ヨーロッパツアー。ウイーンやドイツで好評を博した。娘とのデュオは、平成8年8月から。その同質の声によるハーモニーが、なんとも魅力的!。

幸遊記NO.197 「開運橋からの手紙」2014.10.20.盛岡タイムス
 拝啓、今年2014年も、例年の様に芸術の秋になりました。盛岡タイムスをお読み下さっている皆様、又、新聞はとっていないけれども、月曜日だけは楽しみにしていますと、コンビニに走ってタイムスを買い、幸遊記を読んで下さっている僕のファン。そしてネットで読まれている全国の皆様の中にも、「幸遊記が載らない日の分を送ってくれないかなあ」というジョニーファン、その様々な声にはげまされ、僕の頭もだいぶ薄くなりましたが、皆様はお変わりなくお過ごしでしょうか。
 僕達の店「開運橋のジョニー」も昨年(2013年)の1月、開運橋通のリージェントビル地下から、開運橋際のテレビジョンのある宮田ビル右隣のMKビル4Fに移転し、40年前1975年創業時の初心に帰り、本業のジャズ喫茶の姿に戻した「カフェ・ジャズ・開運橋のジョニー」と成りました。午後2時から夜半12時まで開店。店内禁煙と致しましたところ「えっ!ジャズ喫茶が禁煙!」とびっくりされたり、喜ばれたり、反応様々でしたが、店外(ベランダ)に喫煙所を設けており、これが又眺望が素晴らしいので、タバコも格別の味わいがあると好評です。
 12月になりますと開運橋がライトアップされ、クリスマスには川向いのホテル・ルイズや、駅西のマリオスビルに、窓の灯を利用したハートマークを灯してくださるサービスは感激的です。その二つのハートと駅前の北上川に架かる開運橋が美しく観える、数少ないスポットなのでもあります。
 現在の店は以前の「黒」から「白」へと変身「明るい照明と音の良いステレオ(オーディオ)気さくな照井さんのお宅にご招待されて、お茶やお酒を飲んでるみたい」と言う方々もおります。ジャズの店(開運橋のジョニー)は基本的に忙しくないので想像以上に、ゆったりと、時間を気にせず、音楽と会話が楽しめる、「文化サロン」と僕は思っております。
 最近は、家で大きな音で楽しめないのでと、SP・LPレコードやCDをご持参になって聴いていかれる地元の方達もいらっしゃいます。料金はソフトドリンク、アルコール共に800円。ジャズ麺、スパゲッティ、カレー、お好み焼きなど900円。テーブルチャージはありませんので、ご来店心待ち致しております。     敬具。

幸遊記NO.196 「今洋一・優子の“森田村の四季”」2014.10.13.盛岡タイムス
 青森県森田村(現・つがる市)が「つがる地球村構想」という名の新しい村づくりビジョンを策定したのは、昭和63年(1988)神繁春村長時代のこと。世界うら声民謡大会に始まったそれは、平成年号になると石神ストーンパーク計画の第一弾として、ギリシャの野外円形劇場を参考に、村の全人口(5.500人)を収容出来る「森田村円形劇場」建設を押し進め完成させたのでした。
 米とりんごと民謡の村が、世界に誇れる大舞台を造り、そしてそこから発信させた音楽を世界中の桧舞台へ乗せ、一躍森田ビレッジ(村)を有名にした。その音楽はジャズ。曲は「フォーシーズン」(森田村の四季)。作曲者は我らが世界に誇る、穐(秋)吉敏子。四季折々に足を運び年月かけての作曲は「クラシックで有名なヴィバルディの“四季”を凌駕するつもりで創りました」と穐吉さん自らステージで言う様に、彼女のオーケストラによって、冬に始まり秋で終る「リポーズ」「ポリネーション」「ノリト」「ハーベスト」からなる組曲。
 その完成発表会が落成なった円形劇場で行われたのが1994年8月14日。以来彼女は世界中で、その曲を演奏。ソロのステージでさえも「リポーズ」は必ず演奏し、森田(つがる)の名をジャズで広め続けているのです。
 そして発表20年の時を経た今年2014年10月25日(盛岡・23日)、穐吉敏子さん(85)は、娘のマンディ満ちるさん(51)と初めて、母娘二人だけでアメリカから帰国してつがる市役所前の「松の館ホール」の舞台に立つ。企画は僕だが、主催するのは、36年前に僕が創設した、ジョニーズ・ディスクに、当時の青森県柏村から、心強い応援をしてくれた一人、今(旧姓・対馬)優子さん(57)と、ご主人の洋一さん(60)ご夫妻。
 今年から森田村中学校勤務の優子さんは「顔合わせの時、高橋幸治校長が、穐吉さんのジャズ「フォーシーズン」の曲になった素敵な森田村なんですよ。と子供達に伝えていた」とやる気満々。なにせ二人は大の穐吉ファン。何度も盛岡まで聴きに足を運んでいるし、二人が出会った場所もまた、当時、五所川原市にあった故・工藤功さんのジャズ喫茶「プリンセス」だった。「だから私は彼・洋一さんの“プリンセス”になったのよ!」と笑う優子さん。二人で競い合って券を売り、ほぼ満席だという。ごくろうさん!。

幸遊記NO.195 「根子精郎の本藍型染め」2014.10.6.盛岡タイムス
 「青は藍より出(い)でて藍より青し」という中国のことわざがあるけれど、本物の「藍は青より深く紺より淡し」昔から日本人が最も愛し好んできた味わいに満ちた色である。その原料である「蒅(すくも)」と呼ばれる江戸時代から続く古法で作られる藍染の原料を作る藍師も日本にはもう5人しか居ないのだそうである。同じ藍色であってもインディゴ(化学的な大和藍)では、のっぺりとしたきれいさで、洗えば色落ちし、他に移るが、本藍は、色落ちがなく体にも優しく殺菌作用まである。
 その藍に見染められたのか見染めたのかは知らないけれど、本当に愛して藍の型染め屋を始め「ねこの染物屋」という看板を掲げた根子精郎さん(60)は、そこにたどり着くまでに山程の職務経験を積んだ人。何もかもが便利なデジタル時代に、超アナログな藍に魅せられてしまった彼だが、紫波に生まれ、盛岡工業高校にデザイン科が出来た時に入学、卒業して、入った会社が東京の玩具研究所。朝から晩まで何をして遊んでもいい会社。ゼロから特許、生産ラインに持って行くまでの、ありとあらゆるアイディアを生み出す仕事の青春時代が今につながっている様子。
 僕が根子さんに出会ったのは、盛岡手作り村にある藍染屋の「たきうら」さんの「ゴツボギャラリー」で「藍書展」を開かせて貰った2007年5月。藍書といっても僕は墨の替りに“藍色のインク”を使って書いているのだが、その「たきうら」さんで彼は修業していたのだった。その時、根子さんは僕に何点かの書をリクエストした。それが始まりで、彼の店のロゴ(看板)を書かせてもらい、作品となる染字も、随分と採用して頂き、手拭いや、暖簾(のれん)となり、僕の店に飾らせて頂いておりますが、とてもうれしくて、うれしくて仕方が無い。時が経つほど藍着(あいちゃく)が増しています。
 2014年9月、盛岡の新商業施設「Nanak(ななっく)」の平金ギャラリーで開かれた彼の藍染作品展示即売会で、贈り物として飛ぶ様に売れたのが、手拭いや、のれんならぬ“フンドシ”だったという。買った方は、藍(愛)で見染めた人の雑菌を殺菌する効果をねらってのことだろうか?と、1人悦に入り笑った僕でした。

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