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「道、それは時の流れゆく彼方に向かい、熱き何かを求め生きぬとする者の前に存在する。その道は険しく遠く、ときには辿り着くことを許さぬように厳しさを秘め、限りなく人を魅了してやまない」と言ったのは荒川憲二郎さん、田沢湖ジャズクラブの会長。時は1992
年盛岡の岩手教育会館で行われた穐吉敏子ジャズオーケストラのコンサートで彼女のオープニング曲「ロング・イエロー・ロード」を聴いたのちの言葉だった。 その彼、荒川さんにとって、40年来の夢だった、ジャズ喫茶「ケニー・トーン」(憲二郎の音)を自分の故郷、秋田県角館町のJR田沢湖線菅沢踏切近くに今年2022年にオープンした。僕も女房と連れたって開店の日に訪れてみたら、何と!店内は、穐吉敏子レコードギャラリーの如く、サイン入りのジャケットが壁にズラリ!オーディオは彼が自宅で使用していたものだが、広さが合ったのか、ガゼン本領発揮して素晴らしい音で鳴っていて嬉しくなった。 小中学校の先生だった彼が、生徒たちに教えて来たのは夢を持つことの大切さだった。「夢と聞くと何を想い浮かべるだろうか憧れの職業に就くこと、勝負に勝つこと、大金を手に入れる事。ただ何となく夢は若い時に追いかけるものというイメージがあった。それを覆してくれた人が居る」と報じた秋田魁新聞(8/23)。20代の頃から「いつかジャズ喫茶を開くのが夢、夢があるから仕事にも頑張れる。と言い続け、定年退職後に自分自身の長年の夢だったジャズ喫茶を始めたのだから、喜んで駆け付けた若者たちは皆教え子たちであった。新聞記事には、「師をと仰ぐ照井さんとの交流を続け自分もジャズの魅力を伝える立場になりたいとと考える様になった」と僕とのいきさつなども書かれてあり嬉し。振り返れば40年余りの交流である。夏休みに毎年10年通って1992年田沢湖邪頭倶楽部を立ち上げるまでの彼を主人公にした僕の小説?「瑠璃色の夜明け」はのちに東北近代文学事典に当選?して名前が載ったこともすでに懐かしい思い出ですが、彼が教え子から「ジャズってどんな音楽?」と聞かれ、どう答えていいか言葉につまりながらも、口を突いて出たのは「ジャズは感じるものである。音楽の枠(ジャンル)をも飛び越え心を刺激し振動させる何かだと思っている」は、30年前の彼の言葉。それを実践する第2の人生の幕開けに乾杯!!30年続けたジャズクラブにも乾杯!そして穐吉敏子ジャズミュージアムに乾杯! 戻る |
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