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昨2020年秋頃始めたフェイスブックで友達になった大川原儀明さん(65)から、先月電話ががあって「実は今、札幌のミニFM局で番組持っているので、3月9日夕方5時過ぎ電話でのインタビューに応じてくれないかな?」とのことだった。大川原さんといえば、1985年秋に開局したエフエム岩手のディレクターで、開局と同時に始まった番組「オール・ザット・ジャズ」でお世話になった人でもある。最初の担当者は番組を企画した岡部敏男さんという部長。次が東京支局に転勤になった作家・斎藤純さん。その次に担当者になったのが大川原儀明さんだった。
いつもニコニコ人当たりのいい方だったので、僕は番組で好き勝手放題に、これもジャズ?的なものまで選曲して放送した。彼は立場上?非常に困ったものだの人が僕だったと、最近のフェースブックで知った。若気の至り?でご迷惑をお掛け致しました。ゴメンナサイ!そのせいではないだろうが、彼は1991年、開局になる青森朝日放送に鞍替えし、記者をやりニュースキャスターをやり、報道部長、局次長と管理職まで昇りつめ定年となった。 花巻出身で日本大学芸術学部放送科卆。青森に移住したのは当時息子さんが青森に住んでいたことからで、現在の札幌住まいも息子さんの近くにという、子ぼんのうな親なのである。青森時代に彼は、青森公立大学大学院にて経営経済学研究科の博士課程まで卒業している勉強家でもあり、今挑戦しているのがサックス。そんな面白い経歴見込まれ札幌に移住してすぐ札幌のミニFM局に声をかけられ、今年1月から「さっぽろ村ラジオ局」で火、水曜日の17時からイブニングスクエア813という、1時間番組を担当してしゃべっているのだと。ついてはあの10年前の3・11に関連する話をしてほしいというので、あの日、あの時、どこで、どうして、どうだった、その後のことなどの話をした。 村ラジオ、ミニFM局といっても、札幌は北の大都会、聴ける範囲内の人口は岩手県よりもはるかに多いのだという。そのFM岩手で25年間といっても番組終わったのが震災の半年前2010年秋。それから5年して一夜だけのオール・ザット・ジャズ。その後東京のニッケイラジオ以来久し振りのFMラジオ語りでした。大川原さんありがとうございました! 戻る |
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