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もの凄く厳しかった今年の残暑日「盛岡冷麺が食べたいので送ってほしい」と電話で別府の徳丸さんから頼まれていたのをすっかり忘れ、常温?に戻った最近想い出し、ようやく送った「ゴメンナサイ、本当に、冷たい麺になりました!」。彼はジャズの大先輩で、昔は「ファンク」「ザドー」「タイム・ストリーム」というジャズ喫茶のオーナーで九州三羽烏の1人。鹿児島の「パノニカ」(中山信一郎・2018年没)福岡の「コンボ」(有田平八郎・1999年没)そして彼、大分の徳丸泰蔵さんである。この三人、日本のジャズシーン、とりわけ九州では絶対に欠かせない大きな存在の人物であった。
特にも彼は僕と同じく、ことのほか穐吉敏子さんが大好き。2018年11月、NYのカーネギーホールで開催された彼女のコンサートにも僕と一緒した。穐吉さんから僕は「ヒア・カムズ・ジョニー」という曲を。彼は「タイム・ストリーム」という曲をそれぞれ贈られていますが、穐吉さんは旧満州の生まれで、彼女の父は大分出身、そんなことから終戦後日本に引き揚げて、ピアニストとしてスタートしたのが別府。片や岩手のピアニストと言えば、僕がジャズにのめり込むきっかけとなった本田竹彦(のちの竹広・2006没)。徳丸さんは本田さんがまだ東京以外でのライブをやっていなかった時に、いち早く九州に呼び最初の店「ファンク」(1967年から3年と3ケ月で閉店)に、なんと27回も来て貰ったというのだから驚き。そのファンクの閉店時には三日間も演奏して、おまけに「セカンド・カントリー」という曲を贈った(浄土・‘71年トリオレコード)。彼の家にある娘さんのピアノには穐吉サイン「好きなピアノをよく勉強すればいつかは世界一になれます」。 それはともかく、1967年穐吉さんの前夫・チャーリーマリアーノと渡辺貞夫さんのアルト・バトルの開催、‘73年から城島高原での「キジマ・ジャズ・イン」で全国にその名を轟かせ、10回目には音楽デイレクターに穐吉敏子さん、プロデューサーにジョージウェイン、児山紀芳、両氏を起用し超一流日米ジャズマンを集結させて、県、市を挙げての「’82別府国際ジャズフェステイバル」を開催!3日間で延べ2万人の集客。その時、彼の役はアシスタントプロデューサー(黒子役)。カッコイイナア!いつぞやはその一部始終を記録したDVDをプレゼントして戴き、空前絶後の演奏に絶句した!嗚呼JAZZ!トクマル。 戻る |
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