盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

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幸遊記NO.465 「新潮新書の秋吉敏子と渡辺貞夫」2019.12.16.盛岡タイムス
 8月20日(2019)に新潮社から発売になった新潮新書826「秋吉敏子と渡辺貞夫」西田浩(1963年東京生まれ、読売新聞編集委員)著を買い読んだのは8月29日草津での秋(穐)吉敏子さんのコンサートを聴きに行く往復の新幹線とバスの中でだった。帯には「1963年ふたりの出会いが日本のジャズを変えた」(当事者への膨大な取材を基に戦後日本ジャズ史を描く)とあった。
 1940年代中頃ビバップと呼ばれたリアルジャズをむさぼるが如く猛烈に吸収し、自己研鑽を怠ることなく今日なお世界のジャズを牽引(けんいん)し続けている穐吉敏子と、20才の時にその穐吉さん率いるコージーカルテット(録音は残されていないが伝説の本格ジャズバンド)に抜擢され、穐吉渡米(56年)後はそのバンドを率いた渡辺貞夫。(このコージーカルテットの演奏は30年後にレコード化された“ジャズシーン‘57”阿部克自プロデュース(トリオレコード)の2枚組、7バンドの一つで聴くことが出来ピアニストは八木正生)。
 穐吉さんはバークリー音楽院を卒業し、‘59年に結婚した前夫・チャーリーマリアーノと共にトシコ=マリアーノ・カルテットを結成して61年に帰国した時、渡辺貞夫さんに学ぶ気があるならと、バークリーに入学金と学費の免除を交渉し、アメリカでの保証人を見つけて彼を渡米させた彼女。貞夫さんはそのバークリーで学んだことを日本に持ち帰り、日本のミュージシャンに教え広め育てながら日本のジャズシーンを牽引し続けて今に至る二人のストーリー。
 「二つの巨峰に連なる日本ジャズ山脈の威容だ」とは週刊新潮9月19日号(及川房子さん提供)。「戦後の日本を動かした“天の配剤”とも呼ぶべきダイナミズムを生き生きと描く」「敏子と貞夫は80代の今も新しい挑戦を続けており、人生論としても痛快な本だ」と読売新聞10月13日付(萩谷栄彦さん提供)。「現在も第一線で活躍を続けるふたりの巨星の伝記が交互に語られ、それぞれに食うや食わずのアメリカ生活と世界を舞台にした活躍が隣り合わせる人生は日本ジャズ界への刺激であり推進力であり続けてきた。雑木林進・文」ジャズ批評11月号(松坂ゆう子さん提供)。その渡辺貞夫さんは一関のジャズ喫茶ベイシーに、穐吉敏子さんは盛岡・開運橋のジョニーに、それぞれ毎年いらしてコンサートを続け、僕ら岩手の菅原・照井マスター同士も互いの店を往き来しています。



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