盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

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幸遊記NO.401 「佐々木賢一のモダンジャズ・クイン」2018.9.24.盛岡タイムス
 大槌のジャズ喫茶・クイン(Q-in)に僕が初めて行ったのは1975年。その8月2日に陸前高田の市営松原球場で僕等が開く「衝撃の大ロックフェスティバル」のポスター掲示やチケット取扱いをお願いに県内外を回っていた時、宮古市役所前にあった「ミントンハウス」というジャズ喫茶のマスター・小赤澤猛さんに紹介され、帰り道に立ち寄ったのでした。ドアを開けると左右2部屋。左カウンター、右リスニングルーム、スピーカーに向ってコの字形に作り付けの木製ベンチと箱型テーブル、壁一面に白黒ジャズマン写真のカッコ良さ!。僕はちょうどその時、ジョニーという音楽喫茶を陸前高田に開くべく店舗の工事中だった。「ジョニー?もしかして五木寛之の海を見ていたジョニーか?」と、マスターはズバリと当てた!流石(さすが)だなあ!と僕はその時以来、佐々木賢一さんを勝手にジャズの師匠!と思う事にして、何度も何度も店に通った!。
 賢一さんは1941年10月15日大槌町生まれ。小学6年の時(1953年12月)、ラジオから流れてきたトランペットの音に驚いたという。それは初来日したサッチモことルイアーム・ストロング(tp.vo)と南里文雄(tp)の夢の共演だった。そして高校生の時に、母が作るソバの出前先のバーで、昼の掃除時間に聴かせてもらった、「ハーレムノクターン」にシビれた彼は、日大経済学部へ入学。同時に田舎コンプレックスを払拭しようと、本を読み、マージャン、パチンコ、名曲喫茶、ジャズ喫茶に通い、大学卒業後入った会社を1ヶ月でやめ、大槌に戻ってBar「クイーン」を開いたのが1964年10月、彼22才の時だった。
 1975年3月同町大町に移転。僕がその新店「Q-in」に行ったのはその3ヶ月後の6月だった。大槌ジャズファンクラブを結成し様々なライブ活動をし、79年、野田良和さんがやっていた「パモジャ」を引き継ぐかたちで盛岡に進出。6年間店をやったが体をこわし85年大槌に戻ったところ、奥さんが独立して店を出し、賢一さんは長女に手伝って貰いながらクインを続け、2011・3・11の大津波にさらわれ消えるまでは、現存岩手最古のジャズ喫茶であった。
「夏草や ジャズ喫茶跡 潮騒 (菊地十音)」。震災後花巻市東和町で長女多恵子さんと暮らしていた賢一さんは今年2018年8月5日76才で亡くなり、僕は女房と大槌での通夜に参じた。



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