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今日(8月6日)は73年前の1945年広島に原爆が投下された日である。僕は今、手元にある2枚のCD(日本盤とアメリカ盤)「ヒロシマ=そして終焉から」を聴きながらこれを書き出している。演奏は穐吉敏子ジャズオーケストラ!作曲を穐吉さんに依頼した被爆2世の広島市中区寺町にある善正寺の中川元慧(げんえ・68才被爆2世)住職にお会いしたく6月14日朝、僕は寺を訪ねた。
原爆投下から50年過ぎた1995年8月6日、彼の寺であの「レフトアローン」で有名な黒人ジャズピアニスト・マルウォルドロンが、同じく黒人ヴォーカリストのジーン・リーとともに「白い道。黒い雨」をライブ録音した。白い道は生後40日で被爆した子が中学生の時に綴った詩。その詩に広島で出会ったマルが「忘れてはならないことのひとつ」として自分の子に残した音楽。それに刺激を受けた中川住職は、21世紀を見据え、あの社会的な曲、「ミナマタ」を作った穐吉さんなら作れる!と、中川さんは市内にあったジャズ喫茶「シルバー」のママに相談し、穐吉さんと親しかった岡崎の故・内田修さんに話したら「君!何とだいそれたことを!」と言ったそうですが、彼のつてで秋吉さんをソロで寺に迎えた時にお願いし、資料をニューヨークへ送ったのだという。 穐吉さんは原爆投下3日後に撮影されたその写真集を見て「悲惨すぎて私にはとても書けない!。そもそも50年以上も過ぎてから、たくさんの人が亡くなりました。恨めしい恨めしいという曲に意義があるのかな?」と思い、断るつもりだったらしい。だが最初見落としていた1枚の写真「地下壕にいて原爆から逃れた若い女性が地上に出て微笑しているのを見た時、これなら書ける」と心を決めた。それは「どんなに悲惨な状況の中でも希望を持たなければ人間は生きてゆけない」と、終章をHOPEとするヒロシマ組曲を書き上げたのでした。 その初演は2001年8月6日、広島厚生年金会館「予想以上の聴衆でぎっしりと埋まり、用意した当日用のパンフが足りなくなったのでした」と中川さん。だがその初演から1ヶ月後の9・11、NYでのテロ事件!以来穐吉さんは、コンサートの最後には必ず終章のホープを演奏し続けていますが、その組曲をアメリカで初演したのは2003年10月17日、NY・カーネギーホール。穐吉オーケストラ最後の演奏を聴こうと世界中からファンが参集しNHKはTV放送。その後「ホープ」は一人歩きをして世界中で歌われ演奏され続けている。 戻る |
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