盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
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幸遊記NO.357 「水島早苗のジャズボーカル賞」2017.11.14.盛岡タイムス
 今年(2017)第33回目を迎えた「日本ジャズボーカル賞」は、日本のジャズ専門紙「ジャズワールド」(1979年創刊)と津村順天堂の共催により、本邦ジャズボーカルの先駆者・水島早苗さんの音楽へのひたむきな情熱とその精神を後世に伝えると共に、わが国のジャズボーカルの向上発展を願って、1985年に制定された「水島早苗ジャズボーカル賞」(第1回、第2回)が前身。その水島さんは順天堂の社長・津村昭(バンジョウ奏者)の「ストリービル・ダンディーズ」の名付け親でもあった。
水島早苗(本名・相良喜子・さがらよしこ)さんは1909年九州鹿児島市に生まれ1978年東京で亡くなられた方で、わが国ジャズボーカルの草分け!。1932年本名でプロデビュー、戦後は米軍キャンプ及びクラブを廻り1949年永田清嗣のリズムランブラーズの専属歌手。1957年水島早苗ボーカル研究所を設立。65年宝塚歌劇団のジャズ教室講師を兼任。1974年にはニューオリンズ名誉市民の称号を受け、門下生にはマーサ三宅、峰純子、水森亜土、戸川昌子、佐良直美、金子晴美、上條恒彦氏など多数。
 その彼女、水島早苗が歌手生活に於ける初リサイタルを開いたのは、ジャズを歌い出して27年後の1960年1月10日、産経国際ホール。第1部、デキシーランドジャズ。第2部、スイングジャズ。第3部、ジス・イズ・サナエ・ミズシマ。この3つのステージが示しているように「日本のジャズがどのような経路を歩んで来たのかと知っていただき、あすのより良きジャズへの皆様のご支援をお願いしたいと存じます」と当日のパンフレット。
そのリサイタル評(1960年2月号SJ誌)によれば「歌というものがこんなにも人に強い感動を与えるものだったのかと、思いを新たにさせ、感涙をそそる出来であった」。
そして1975年日本ジャズの名門レーベルTBM(スリー・ブラインド・マイス)の50枚目のレコードが66才にして初めてLPに吹き込んだ水島の「ユーヴ・ガット・アー・フレンド」だった。その発売記念コンサートでは「歌詞などまったく解からなくても言い知れぬ説得力に打ちのめされてしまう、たくましい力強さ」(行田よしお・1975・11月号SJ誌)であった。僕はその2年後に出たLP「サタディナイト&サンデーモーニング」(ビクター)も聴き、そのゴスペルとブルースが調和する彼女の“うた”に唯一無二を感じたものでした。



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