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「演奏中のエナジーだけは、どんなプレイヤーにも負けたくない!」そういうのは、盛岡市出身、現在川崎市在住でドラマー・コンポーザーとして活躍中の柿崎幸史さん(29)。彼は、3才からピアノ、小学5年からパーカッション、中学から作曲、高校からドラム。初見でもピアノを弾ける兄がいて、家の中には練習スタジオまで造ってくれた父母。最高に恵まれた音楽環境で育ち、大学時代にはジャズスポットで、ドラムの腕を磨き、上京してプロになった。
倫史(ともふみ)幸史(たかふみ)それこそ初見では読めない兄弟名。彼らに出会ったのは倫史さんが岩手大学の学生時代だったから幸史さんは盛岡三高生の時である。彼を見ていると、プロになりたい気持ちが店に出入りする誰よりも強かったので、僕は時折、店に出演する凄腕のジャズピアニスト・明田川荘之さんや、故・板倉克行さん等々に頼んで彼とセッションをやって貰ったりした。演奏が終ると彼は精魂尽き果てバッタリと店の長椅子に倒れこんでしまうことも度々だった。 彼自身演奏で表現出来ない分、口数が多くて僕は閉口したが、しゃべる能力は作曲という形となって現れ、彼は大学時代に組織したブルードットサウンズや、その他のバンドで演奏するオリジナル曲の演奏には感心した。音楽をやることがステータスと思って始めたことが「様々な音楽に対応しなければ食べて行けない現実の厳しさから、喜びと絶望が一ヶ月交替でやって来る」のだという。 それは見聞する側から言えば個性(魅力)のない音となり、音楽家(特にジャズメン)にとっては命取りになりかねないもの。だから「自分にしか出来ない生き方で、自分でなければ出せない音を創って、国外まで、ちゃんと勝負してゆく、今はその駒並べ状態の序盤だと思って基礎的なところから見直しているところ」だと目を輝かす。 見慣れたメガネをはずしての、アイコンタクト。上京後初となったリーダー作クリエイティブジャズカルテット「エンパシー」は全曲彼のオリジナル。ガンバレ!本当に将来を期待し、懸け、願い、心から応援しているひと達がいるんだからね。 戻る |
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