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昨2021年仙台の古友・タアちゃんこと守口忠成さんから、小さな(サムホール)額入り絵15枚が届いた。「もしほしい方がいて少しでもお金になるなら、穐吉敏子ジャズミュージアム開設のために!使って」と。その絵が届いた時、紫波のテコ(畠山貞子)さんが、開運橋のジョニーに来たので、全部見せたら、一枚欲しいと持ち帰り、まもなく、その絵で200字程の物語が創作され、手作り絵はがきとなって舞い戻って来た。
「いかつい肩と、ロボットのような手を持つお父さんと子どもが丘の上にたっていました」で始まるこどもの夢物語。さすがテコさんと思って、タアちゃんに物語コピーを送ったら、とても喜んでくれました。すると又、テコさんは全部の絵でそれぞれの物語を書きたいというので、送られてきた箱ごと全部テコさんに届けたら、絵はがきが沢山届きました。その一枚には「いかつい肩と、ロボットのような手の父は誰か?子どもは誰か?「宏樹さん(テコさんの息子)とお父さん」「ジョニーさんとジョニーさんの息子」「たくさんのお父さんと息子達」の物語が浮かんで来て、今までどうしても解けなかった20才で死んだ兄と父の間にあった謎がとけました、と、書いてありました。 それを読みながら僕は僕で、もう一つの物語(絵本)を思い浮かべていました。「時計つくりのジョニー」(エドワード・アーディゾーニ・作、あべきみこ・訳、こぐま社1998)です。「あるところに小さな男の子がおりました。名前をジョニーといいました」で始まる、いじめられっ子の物語。その子ジョニーは、おばさんからいただいた「大時計のつくりかた」という本を百回読んで時計を入れるりっぱな木箱を作り、白いボール紙を切り抜き、数字を書き、錫(すず)はくから長短針を切抜、あとは、三つの歯車の大中小と、おもりと、くさりと、ふりこ。これは自分で作れないので金物屋や自動車修理工のビル・エヴァンスも尋ねましたがありませんでした。でもジョニーをすきな女の子のスザンナがオー!かじやのジョーさんに聞いてみたら?でたずねるとジョーは馬の蹄鉄をつくっていましたが「ふいごを動かして火をカンカンにおこしてくれたらつくってやるよ!」で、歯車つくり!ジョニーの時計完成!。のちジョー・ジョニー・スザンナ商会という三人の名の鉄工所と時計製造業を始めたのでした!どんとはれ! 戻る |
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