盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

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幸遊記NO.317 「マンデイ満ちるのイエローバード」2017.2.6.盛岡タイムス
 昨2016年9月11日(日)に東京六本木「キーストンクラブ」でテナーサックス奏者・ルータバキン・国際トリオのライブを聴き、同14日(水)同地六本木の「ビルボード・ライブ」にて、ボーカリスト・マンデイ・ミチルのライブ。そして同22日(木・祝)銀座「ヤマハホール」に於ける穐吉敏子ピアノリサイタル。と3つの演奏会を聴いた。
 このアメリカ在住3人の、それぞれ別のコンサートをひと月に、しかも10日余りの内にまとめて日本で聴くことが出来たのは、初めてのことであり、奇跡的な、そして一方的な僕の蜜月!でした。ルーさんと穐吉さんは言わずと知れた夫婦で、マンデイさんは穐吉さんとチャーリーマリアーノ(前夫・アルトサックス奏者)との間に1963年2月の帰国公演(盛岡にも来た)の後、日本滞在中の8月19日東京で生まれました。その誕生日が月曜であったことから「マンデイ」そして人間として年々満ちてくれる様に、「満ちる」(マンデイ満ちる)と、母・敏子さんが名付けたのでした。
 その母と娘、義父の3人が初めて同じステージに上ったのは1998年11月19日。場所は岩手県陸前高田市・キャピタルホテル1000・カメリアホール。帰国ツアー中だった穐吉トリオの陸前高田公演日にマンデイグループも、更にニューヨークからこの日の為にルーさんに直行して貰っての世界初,秋吉敏子ファミリーコンサートの実現だった。
 その公演後、ジョニーで打上。ピアノの脇に飾っていた額「21世紀への手紙---秋吉敏子」(15才時のマンデイ宛)をピアノに寄り掛かりながら読んでいた35才のマンデイ満ちるの姿は今も忘れられない!。それは、母から娘への手紙(新聞掲載)の文章。「満ちるが、何か創り出す事の出来る人間になってくれればとも思ったりしますが、最終的には、ママが今まで生きてきた間に習った一番貴重な事は“思いやりのある人間に!”“故意に人を傷つけない人間に!”“そして果たせない約束はしない人間に”この三つの事柄です。この三つを心掛けて生きてくれればそれだけでママは満ちるを誇りに思い幸せです!」というもの。果たして、満ちるは新しい分野を切り拓き、その新ジャンルのカリスマとなってアメリカと世界をリードし続け、最近は母のテーマ曲「ロングイエローロード」にも詞をつけ歌っているのです。



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