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梵音のゆくえ
二十世紀最後の夜、陸前高田町にある無量山光照寺の恒例となった「六万九千字・梵音衆会(ぼんのんしゅうえ)」と題する年越し集いが九回目を迎えた。 この衆会は、三つの柱から成り立っている一つは六万九千字の経文が刻まれた梵鐘を突く「除夜の鐘」の打ち出し。二つ目は、その鐘の音とジョイントするパフォーマンスと音楽による「梵音遊戯(ぼんのんゆげ)」。三つ目は三朝祈願法要の「修正会(しゅしょうえ)」である。 平成三年、同寺は鐘楼堂を移転新築し、ライトアップした。その翌年から三味(身)一体のこの行事が開催されるようになった。 参集者は寺の檀家の人たちが大半であるが、この催しのチラシを新聞の折込みで見た人たちや、口こみ、あるいは陸前高田ユースホステルが独自にこの催事への参加・体験ツアーを企画して全国からの数十名に及ぶ団体客(昨年からはユースが冬期間閉鎖のため今回はゼロ)など、毎年二、三百人が集まってきた。 NHK紅白歌合戦の放送時間帯の夜十時を回る頃から人々はやって来る。塔婆の燃える炎を灯りに、境内や本堂など、あらゆるスペースを自在に舞台化して繰り広げられるパントマイム。如意棒ごとくスティックを操るドラムの音。そして舞踏。それにからむ三味線、尺八、ギターに経歌。時にはピアノやヴォイス、ツインドラム、キーボード、舞い…。 それらは除夜の鐘の音とともに時のリズムを刻みながら、一年の悲しみを捨て、疲れをいやし、まもなくやってくる新しい年に向かって、今生かされている証を自覚し、心の垢までをも捨て去るための梵音衆会。 遊戯なるそれは、「司会者がいる訳でもなく、あるがままの空間そのもので、自由自在に遊戯するパフォーマンス。それはそこに散じた人たちにとっては、ひとつの心象風景として、人間界へ祭次元を体験することだろう…。このパフォーマンスがときの移り変わりと共に消えた時、初めてそれに気付くことである。」(高澤公省和尚) 光照寺住職が言ってるように、毎年(回)百万円余りを出費して行われているこの催しも2001年の除夜まで(10回)は続けられる予定だが、その先は未定だ。 大晦日の深夜と言えば、あたたかな小雨の年もあったが、大ていは寒い。温かい甘酒が振る舞われ、鐘突く順番を待つ間、様々な、時には度肝を抜くようなパフォーマンスを鑑賞することになる。 この衆会の遊戯に最初から深く関わってきた僕としては、十二時一番乗りを競っての元朝まいりも素晴らしいことだが、その宗派にこだわらぬ神社へのおまいりのように、ゆく年を惜しみ来る年を祝う。この梵音衆会にもっと多くの人々が集まることを切に願っている。 時あたかも21世紀「心の時代」の幕は切って落とされたのだから。 戻る |
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