盛岡のCafeJazz 開運橋のジョニー 照井顕(てるい けん)

Cafe Jazz 開運橋のジョニー
〒020-0026
盛岡市開運橋通5-9-4F
(開運橋際・MKビル)
TEL/FAX:019-656-8220
OPEN:(火・水)11:00~23:00

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幸遊記NO.439 「野口和則の釧路とジャズと」2019.6.17.盛岡タイムス
 2015年4月、学研から発売になった「ジャズの教科書・ニッポンJAZZ紀行」に「40年にわたり邦人ジャズに傾倒、レコードでは秋吉敏子を熱心に収集、秋吉敏子記念館を目指す」として僕の店・開運橋のジョニーが紹介された記事を読んだという北海道・釧路市の野田和則さんと方から、郵便物が届いたのは同年4月の初旬だった。「私も日本のジャズが好きで、聴いてます。穐吉敏子さんが特に好きでよく聴きます」と1980年6月6日、NHK505スタジオから生中継された、秋吉敏子トリオのFMエアチェック盤CD(カセットからダビングされたもの)などが届きビックリ。しかもその放送一週間後の13日、彼女が初めて陸前高田を訪れ、コンサートを開催した時のボブボーマン(ベース)ジョーイバロン(ドラム)とのトリオ編成初来日時の貴重な音源であった。
 それ以来、未だ見ぬ彼のことを頭に浮かべると、翌々日に郵便が届くのだから不思議。先日はそれこそ僕が盛岡に出てきた2001年のNHKFM・秋吉敏子(p)鈴木良雄(b)村上寛(ds)のライブ盤が届いた。僕と釧路の関係で云えば、定時性高校4年の時の修学旅行で北海道へ行った時のこと。釧路の海と街を見下ろす高台の公園にあった啄木の歌碑「しらしらと氷かがやき千鳥なく、釧路の海の冬の月かな」は、今もすらすらと僕の頭から口を伝って出てくる不思議。野口さんから以前に届いてた啄木歌碑マップを開くと今では釧路市に何と25基。先の碑は1934(昭和9年)全国で6番目に完成した釧路最初の啄木碑だそうである。啄木は1908(明治41年)1月「さいはての駅に下り立ち雪あかりさびしき町にあゆみ入りにき」釧路新聞の記者として釧路入りから数えて今年は1並びの111年。当時啄木が釧路に残した借金は今、その何倍何十倍もの還元率となって釧路を潤し続けている様子。
 又釧路港から見る夕日の美しさは、インドネシアのバリ島、フィリピンのマニラ湾と並ぶ世界三大夕日の一つとされ、厳冬期日没の瞬間に夕日が緑色に耀くグリーンフラッシュと呼ばれる現象に出会えば幸せになれるという話や1856年北海道で最初の採炭が行われた岩見浜。今に残る日本唯一の太平洋炭鉱(釧路コールマイン)。日本の政府には失言が飛び交うけれど釧路の湿原に聴こえるのはジャズのような丹頂(短調)鶴の一声である!か。



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